はじめまして
数あるブログの中から『今更お金がない件について』に来てくださり有難うございます(*´ω`*)
管理人の「いまおか」です。
タイトル通り40代となり、「老後」という響きもそう遠くない今頃になって『お金がない!!』という事実にぶち当たりました。
どうにかしなければと焦る気持ちはあれど、思うように気持ちと体がついてこない状態に落ち込んでみたり、自分自身を責めて悲しんでみたり(´;ω;`)
けれど結局は自分のことなので、自分でなんとか頑張るしかないよなぁ・・・と心を落ち着けて、まずはやれることから!!ということで『お金について学ぶこと』、『収入を増やすこと』を目標に動き出すことにしました。
「いまおか」ってどんな人?
私は、東京在住の40代の女で、フリーターをしながら小さな1Kに同居人と2人暮らしをしています。
30歳で上京して、都会ならいろいろな仕事が経験できるだろうと、演劇の裏方に挑戦してみたり、カフェのスタッフ、ホテルの清掃員、パン屋のスタッフ、地域のイベントアナウンス、耳鼻咽喉科の受付、住宅展示場スタッフなどなど、フリーター人生まっしぐらでやってきました。
30代の後半から元々の腰痛が悪化したり、職場の人間関係やブラックな社風に疲れてしまい、そろそろフリーターは卒業して、心穏やかに過ごせる定職をなんとか30代のうちに見つけたいなぁと、職探しを始めた矢先…。
なんの前触れもなく
「ここに写っているのは間違いなく癌ですね。」
ドラマでよくある告知シーンの瞬間でした。
39歳の春、左胸上部に感じた違和感をきっかけに「悪性の乳がん」だと診断され、ここから闘病生活が始まることに。
ちなみに告知を受けた時に最初に頭の中に浮かんだ事は、「シフト入ってるのに休んで迷惑かけることになる。どうしよう??」でした(;´∀`)
もちろんショックも受けていたのですが、そんな中でも「人様に迷惑を掛ける」という事に過敏な性格がしっかり発揮されたことに「こんな時でもそこなんだなぁ。」と自分自身に笑ってしまいました。
最初は希望の見える治療スタートだったのですが、苦しい投薬治療の回数が増えても効果が見られず、それどころか進行が早くなっているのでは?との結果が。
悪性度も高く、再発率まで高いとわかった時点で、治療に対しては自分なりに前向きには取り組んできていたのですが、流石に希望を持つことは出来ませんでした。
『私は助からない可能性が高い』と思い、ならばせめて父親や友人に迷惑を掛けることなく終われるようしようと身辺整理を始めることにしたのです。
抗癌剤の副作用はそれなりにあり大変でしたが、手術が決まるまでの日々は、休みながらも仕事を細々と続けることが出来ました。
終わる日が来ることへの恐怖もありましたが、仕事を辞めずにいたおかげでだいぶ気が紛れていたかなと今は思います。
当時は、皆にフォローをしてもらいながら仕事をこなすことに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、それでも続けさせてくれて職場には感謝しております。
浮き沈みしながらも治療は前向きに、けれど終わりに備えて父や友人へ別れの手紙を書いてみたりと、どちらかと言うと終活に力を入れて過ごしていました。
通院の最中に結果が良くなったり、悪くなったりで期待した後の絶望感の度合いが半端なかったこともあり、希望を持たないようにしていたのもかもしれません。
疑い続ける日々
結局、効果があれば手術をしなくて済むかも?という抗癌剤の投与は効果が認められず、予定回数を終えることなく中止となり、進行し続ける癌を緊急手術にて切り取る処置へ変更することに。
麻酔が開始された時、私は目覚めることが出来るだろうか?と思いながら意識がなくなり、その後無事に手術台にて目が開き、朦朧とした状態で名前を聞かれ答えたことを覚えています。
その後順調に回復し退院、目に見えない癌細胞を根絶すべく放射線治療が始まりました。
放射線治療が終了した後は、自宅で飲むタイプの抗癌剤治療が始まり、こちらも副作用に悩まされつつもなんとか働くことが出来ましたが、手術でリンパ節を除去した後遺症で左側の腕、肩、胸は痺れが残り負荷が大きくかかるような重いものは持てなくなりました。(無理をして腕に負荷を掛けすぎると「リンパ浮腫」になるリスクが上がるため。)
そして浸潤性の癌だった為に全身に転移の可能性があり、再発のリスクも高いと言われていたので手術自体は無事に終わっても、やはり「きっと助からない」という気持ちは変わりませんでした。
経過観察が終わり、後8年くらいは続くであろう定期検診では今日こそ「再発している」と言われるのだろうなと毎回覚悟を決めて受けています。
日常に戻ると現実が襲ってくる
自暴自棄とまでは言いませんが、多分そう長くはもたずに終わるんだから無理をせず、迷惑をかけない程度に楽しく思い出を作りながらその日までを過ごそうと決めました。
思い通りにならない身体に苦労しつつ、もう病気になる前の元気な身体には二度と戻れないのだなぁとせつなくなったものです。
それから何度目かの春を無事に迎え、少しづつ前の日常に近い状態に戻り始めた頃、「あれ?これってもしかしなくても終わりが来るよりお金が先になくなる!?」と急に現実が襲いかかってきたのです。
闘病生活の間の高額な医療費については「高額医療費制度」というものを利用してかなり抑えることは出来ましたが、仕事も休みがちだった為、単純に収入が激減して毎月6万近くの支出が増えたので貯金はどんどん減っていきました。
そんな時父から「がん保険を掛けておいて良かった。保険会社に請求手続きするといいよ。」と言われたのです。
とても有り難い気持ちと、迷惑を掛けて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
この歳で親に頼る日がくるとは…と。
その後保険会社からまとまったが額が入ったので生活費として使わせてもらい、お金は元の貯金分に近いくらいには戻ったのですが、まだまだ事態は好転しませんでした。
※一回目から長文となってしまいましたので、続きは次回に持ち越したいと思います。ここまでお付き合いくださり有難うございましたm(_ _)m※